松山地方裁判所宇和島支部 平成7年(ワ)35号 判決 2000年5月15日
原告
甲野花子
右訴訟代理人弁護士
角田雅彦
被告
乙山太郎
同
宇和島市
右代表者市長
柴田勲
右両名訴訟代理人弁護士
森脇正
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
被告らは原告に対し、連帯して、金五八二七万七五三四円及びこれに対する平成四年九月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
一 本件は再生不良性貧血に罹患していた原告の三男である亡甲野一郎(以下「一郎」という。)が死亡したのは、同人の担当医であった被告乙山太郎(以下「被告乙山」という。)が骨髄移植をしなかったことなどの過失によるものであるとして、原告が、被告乙山に対しては民法七〇九条または民法四一五条に基づく、同人の使用者たる被告宇和島市に対しては民法七一五条あるいは国家賠償法一条、または民法四一五条に基づく損害賠償請求をした事案である。
二 争いのない事実
1 原告は一郎の実母であり、同人の唯一の相続人であり、被告乙山は一郎の担当医であった者、被告宇和島市は宇和島市立宇和島病院(以下、「宇和島病院」という。)を設置、経営する者である。
2 一郎は二卵性双生児として、昭和五四年一月二七日に出生し、昭和六二年九月一六日ころ、麻疹にかかった際に眼球出血を起こし、右同日から同六三年一月二二日まで宇和島病院に入院したが、その間被告乙山の診察を受け、同六二年九月一九日ころに、再生不良性貧血に罹っている可能性があると指摘された。同年九月二五日ころ、被告乙山は一郎の兄弟三名と原告のHLA・タイピング(以下「本件検査」という。)をした結果、兄弟三名から一郎に対する骨髄の移植が可能であることが判明した。
3 被告乙山はその後一郎に対し、継続的に「プリモボラン」及び、「プレドニン」等を投与して、治療をしていた。昭和六三年六月一六日から同年八月一一日まで一郎は、再生不良性貧血及び急性膵臓炎で再び宇和島病院に入院し、被告乙山の診察を受けたが、治療法は「プレドニン」の投与であった。また、被告乙山は一郎がマラソンをすること、自宅から一四ないし一五キロメートル離れた中学校まで自転車で通学することを容認していた。
4 平成四年八月三一日、一郎は公園で膝を打って急に容態が悪化し、夜半には引きつけを起こすに至った。その際、一郎の血小板数は一立方ミリメートルあたり(以下単位を省略)一万三〇〇〇程度であった。その後、一郎に対し、集中治療室での治療が行われたが、平成四年九月一四日には左脳出血が認められ、同年二八日に一郎は死亡した。
被告乙山作成の死亡診断書には、一郎の死因は低酸素血症による成人呼吸窮迫症候群と記載されており、死亡に直接関係のある既往症として再生不良性貧血が挙げられている。
第三 争点
一 一郎が再生不良性貧血であると診断した際に被告乙山に直ちに骨髄移植をすべき義務があるのに、これを怠ったか否か
1 被告らの主張
一郎の再生不良性貧血の程度については、昭和五八年一二月の初診時は中等症、昭和六二年九月の入院時に一時的に重症となったが、その後は軽症の部類に入っている。
再生不良性貧血の診断基準は概ね以下のとおりである。
(一) 貧血、出血傾向、ときに発熱を呈する。
(二) 末梢血において、汎血球減少症を認める。
(汎血球減少症とは、成人で赤血球数四〇〇万、女性で三五〇万以下、白血球数四〇〇〇以下、血小板数一〇万以下の状態。)
(三) 汎血球減少の原因となる他の疾患を認めない。
(他の疾患とは、白血病、巨赤芽球性貧血、骨髄線維症、癌の骨髄転移、多発性骨髄腫、Banti症候群、悪性リンパ腫及び感染症等)
骨髄移植の適応は重症型でHLAが適合し、リンパ球混合培養陰性のドナーがある場合とされている。そして、重症度の判定基準としては、末梢血で好中球数五〇〇未満、血小板数二万未満、網状赤血球数二万未満、骨髄像は高度の低形成か、造血細胞比が三〇パーセント未満の各条件を満たすこととされている。この基準に至らない中等症型には蛋白同化ホルモン等の薬物療法等が実施される。
一郎は昭和五八年一二月の初診時は好中球数一四二八、網状赤血球数四万九〇〇〇、血小板数二万六〇〇〇であり、中等症であった。
昭和六二年九月二二日には、右判定基準よると、一郎は重症と判断された。このとき、被告乙山は骨髄移植の適応を考えて、原告、一郎の父及び一郎の兄弟に対し、本件検査を実施した。しかし、同年九月二八日からの「プリモボラン」、「プレドニン」の投与により、その後一郎の病状は右判定基準によると軽症と判断されるようになった。
以上、一郎には治療困難な貧血、好中球減少による易感染症、血小板減少による出血等もなかったし、被告乙山は臨床的にも良好なコントロール下にあったと判断している。仮に、骨髄移植をしても、長期治療成績は、六五パーセントから一〇〇パーセントの生存率となっていること、平均一〇人に二人は骨髄移植後死亡していることからして、骨髄移植自体の危険性、患者とドナーの負担を考慮し、一郎の父と被告乙山が相談をして、当面骨髄移植はしないことにした。
2原告の主張
再生不良性貧血の病状の程度を決める基準は未だ一定のものがなく、被告らの主張する基準は一応の目安である。被告らの主張する基準による重症再生不良性貧血患者の中にも部分または完全緩解を示す者がいる一方、逆に軽症再生不良性貧血患者が重症再生不良性貧血患者となることもある。
骨髄移植の要否を判断するについて、小児再生不良性貧血においては、初診時の要素のうち、予後判定の因子として出血傾向、血小板数などが上位にランクされる成人の場合と趣を異にし、初診時における網状赤血球数の減少度が再生不良性貧血の造血障害度を忠実に反映し、この数値が一〇〇〇〇以下の症例は予後不良として、骨髄移植の適応とされる。ところで、一郎の実質的初診時である昭和六二年九月一九日の時点における網状赤血球数は一〇〇〇〇以下であり、また、昭和五八年一二月二三日に行われた骨髄検査の結果によると、骨髄は低形成であり、同じく同六二年九月二二日に行われた骨髄検査の結果によると、骨髄は重度の低形成であり、これらの結果によると、一郎は骨髄移植の適応となる。
仮に、右時点における一郎の再生不良性貧血が中等症であったとしても、予後の生存率の低さを考慮して、骨髄移植の適応と判断すべきである。
被告乙山が一郎の父と相談して骨髄移植を見送ったとの事実は否認する。
二 被告乙山は一郎に対する投薬の効果を十分吟味して、効果がなければ他の薬剤に変更すべき義務があるのに、これを怠ったか否か
1 被告らの主張
一郎に対する投薬により現に症状は改善されているし、被告乙山は、一郎の症状をみて慎重に薬剤の種類、投与量を変更しており、被告乙山には過失はない。
2 原告の主張
一郎に対し、赤血球の生成を刺激して、貧血を回復させる目的で、ステロイド剤として「プレドニン」、蛋白同化ホルモン剤として、「プリモボラン」、「アナドウール」などが五年間投与された(「プリモボラン」は昭和六三年四月まで。)が血小板の数値は上がらず、好中球数、網状赤血球数についても安定していないのに漫然と投薬を継続した点において、被告乙山には過失がある。
三 被告乙山は一郎及び両親に対して、再生不良性貧血とその治療法について具体的な説明をし、これに伴う生活制限あるいは運動制限等適切な助言をすべき義務があるのに、これを怠ったか否か
1 被告らの主張
再生不良性貧血全体の生存率は二〇年で54.3パーセント、中等症で76.4パーセントである。
被告乙山は常に細心の注意を払い、一郎の学校生活、家庭生活、運動、予防接種、歯科治療等につき、その都度保護者と相談して、適正に指導した。
特に、出血を防ぐことは常時注意していたが、一郎が死亡するまで、出血や止血困難な事態がおこったことはなかった。なお、この点について、原告は血小板数五万以下では極端に出血しやすくなるとしているが、これは、一郎には当てはまっていない。
また、出血を恐れるあまり生活制限を厳重にすることで患者の生活や生命の質を阻害するべきでない。良好なコントロールの下でできるだけ、普通の生活をすることが大切である。自転車通学についても、保護者から自転車でないと中学校への通学が困難という話があり、被告乙山は注意して通学するように指示し、これを許可した。その他、運動会には参加してよいが、格闘技は避けるよう指導した。
2 原告の主張
再生不良性貧血に罹患すると、骨髄機能の低下により骨髄からの赤血球、白血球及び血小板等の血中成分の産生が減少して貧血を生じ、血小板数が五万以下の場合は極端に出血しやすくなる。被告乙山は、一郎の腕や足に出血によるあざが常にあったことを認識しており、鼻や歯茎からの出血があったことの報告を受けているにもかかわらず、一郎及び両親に対して、再生不良性貧血という病名や病状を十分に説明せず、日常生活において、出血を極力防ぐように注意することもなく、マラソンや長距離の自転車通学をさせることの危険性を十分認識させることを怠り、これを容認し、一郎が死亡する一〇日前になってようやく同人が再生不良性貧血であることを原告に告げたにすぎない。
また、昭和六二年九月一六日から同六三年一月二二日まで入院したときの記録の同六二年一〇月二三日には「ステロイド骨粗鬆症」の記載がある。
一郎は投与された「プレドニン」、「プリモボラン」の副作用により骨粗鬆症になり、当時から非常に骨折しやすい危険な状況にあった。他方、一郎は血小板数からみて危険な出血傾向があり、それは、脳内出血、心筋梗塞に直結しやすく、生命への危険があり、皮下出血でも出血部位によっては、失血を招くことになるから、被告乙山はこれらの点を一郎及び両親に十分確認させたうえで、右病状からすればやむを得ないと考えられる運動制限、生活制限を指導指示すべきであったのにこれも行わなかった。
第四 判断
一 事実関係
争いのない事実、甲第三、第四、第七、第八、第一五号証、乙第一ないし第七、第九、第十七ないし第二四号証、被告乙山本人に及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると、以下の事実が認められる。
1 原告は一郎の実母であり、同人の唯一の相続人であり、被告乙山は一郎の担当医であった者、被告宇和島市は宇和島病院を設置、経営する者である。
2 一郎は二卵性双生児として、昭和五四年一月二七日に出生した。昭和五八年一二月二〇日に発熱(四〇度)、吐き気、下痢及び腹痛を訴え、同月二二日宇和島病院に入院し、同五九年一月七日に退院した。入院の際には、斑状出血斑が認められ、同月二八日の血液検査によると、顆粒球のうちの好中球数が一四二八、網状赤血球数四万九〇〇〇、血小板数二万六〇〇〇であり、同月二三日の骨髄検査によると、有核細胞数五万六〇〇〇、巨核球数〇ないし一六と低形成であり、再生不良性貧血の初期状態に感染症が加わったと診断され、再生不良性貧血であるとの確定的な診断はなされなかった。その後同五九年一月一二日の血液検査によると、顆粒球のうちの好中球数が一八〇九、網状赤血球数九万五〇〇〇、血小板数二万七〇〇〇であり、同年一一月一二日の血液検査によると、顆粒球のうちの好中球数が一七七六、網状赤血球数が一三万一〇〇〇、血小板数二万六〇〇〇であった。
3 昭和六二年九月一六日ころ、一郎は麻疹にかかった際に眼球出血を起こし、同六三年一月二二日まで宇和島病院に入院した。同六二年九月一九日、被告乙山は一郎が再生不良性貧血に罹っている可能性があると指摘し、同年九月二二日の血液検査によると、顆粒球のうちの好中球数が五一七、網状赤血球数六〇〇〇、血小板数七〇〇〇であり、右同日の骨髄検査によると、有核細胞数三〇〇〇、巨核球数〇ないし六と骨髄は低形成が非常に強いと判断され、この時点において、被告乙山は一郎が再生不良性貧血に罹患していると確定的に診断したが、この当時一郎が麻疹に罹患していたことから、このことが末梢血液検査の結果に影響を与えていると判断し、直ちに骨髄移植をすることとはせず、麻疹の影響がなくなったと考えられる時期まで骨髄移植の決断を留保したが、骨髄移植適応の場合を考慮して、同二五日、原告及び一郎の父、二人の兄及び双子の姉の五名について本件検査をした結果、原告及び一郎の父を除く三名から一郎に対する骨髄の移植が可能であることが判明した。
4 しかし、その後、被告乙山は骨髄移植は実施せず、右同二二日から同二五日までの間に濃厚赤血球を四パックを輸血し、同二八日から蛋白同化ホルモンである「プリモボラン」三〇ミリグラム/一日及び免疫抑制剤である「プレドニン」三〇ミリグラム/一日投与し、「プリモボラン」については、昭和六三年三月三〇日以降投与を打ち切った。また、「プレドニン」についても、昭和六二年一二月には二〇ミリグラム/一日とし、昭和六三年一月からは三〇ミリグラム/隔日とし、同年三月からは二五ミリグラム/隔日とし、同年七月からは三〇ミリグラム/隔日とし、平成二年九月以降は二五ミリグラム/隔日とした。そして、昭和六二年一〇月以降平成四年九月二五日までの一郎の血液検査の結果は別紙グラフのとおりである。(なお、一郎は、この間の昭和六三年六月一六日から同年八月一一日まで再生不良性貧血及び急性膵臓炎で再び宇和島病院に入院した。)
5 昭和六三年二月一七日、被告乙山は一郎の保護者に対し、登下校は徒歩で行うこと、水泳をしてみて問題がなければ運動をしてもよいと指示し、同年八月三〇日、同じく、虫歯の治療は可能であるが、運動制限を引き続き行うよう指示し、昭和六三年一二月二七日、同じく、抜歯はすべきでない旨指示し、平成元年九月二七日には、保護者から運動会の練習をしていて踵が痛くなった旨説明を受け、平成二年四月一八日、同じく馬跳びをしていて右膝を打撲して体重をかけると痛い旨説明を受け、同年四月二四日からの修学旅行には行ってもよい旨指示し、同年九月二〇日ころ、被告乙山は保護者から中学校に通学するのに自転車でないと無理である旨の説明を受け、事故にならないようにということで一四ないし一五キロメートル離れた自宅と中学校間を自転車で通学することを許可した。同年一二月一二日、被告乙山は保護者に対し、マラソン(三キロメートル)をすること、その練習をすることを許可した。
6 平成四年八月三一日、一郎は公園でテニスボールのような柔らかいビニールのボールとナイロン製のバットを使用したソフトボールをしているときに、五〇センチメートル程度の高さから飛び降りたところ、左膝を打ち、左脛骨を骨折し、これに伴う脂肪塞栓による肺梗塞及び脳梗塞を併発して、同年九月一四日には左脳出血が認められ、同月二八日に一郎は低酸素血症による成人呼吸窮迫症候群により死亡した。
二 争点に対する判断
1 争点一について
(一) 再生不良性貧血とは、骨髄の幹細胞に障害を来した結果、赤芽球系、顆粒球系、巨核球系のいずれにも分化過程異常が起こり、赤血球だけでなく、白血球にも血小板にも産生低下がみられる貧血である(甲一四)。
(二) 再生不良性貧血の診断基準は概ね以下のとおりである(争いがない。)。
(1) 貧血、出血傾向、ときに発熱を呈する。
(2) 末梢血において、汎血球減少症を認める。
(汎血球減少症とは、成人で赤血球数四〇〇万、女性で三五〇万以下、白血球数四〇〇〇以下、血小板数一〇万以下の状態。)
(3) 汎血球減少の原因となる他の疾患を認めない。
(他の疾患とは、白血病、巨赤芽球性貧血、骨髄線維症、癌の骨髄転移、多発性骨髄腫、Banti症候群、悪性リンパ腫及び感染症等)
(三) 再生不良性貧血の重症度は厚生省造血障害調査研究班の作成した診断基準及び分類が広く一般的に用いられていた(甲四、乙九、乙二〇、ないし二二)ものであり、当時被告乙山としては右基準に依拠した診断をすべきであったと認められるところ、昭和五八年一二月二八日において、一郎は再生不良性貧血の中等症であり、昭和六三年九月二二日には重症型と判断される。ところで、右時点において、一郎は麻疹に罹患しており、麻疹に罹患していると骨髄の低形成をひきおこす可能性があり(甲一三)、また、同じく骨髄抑制により末梢血にも変化を及ぼす可能性がある(乙二〇ないし二四)から、昭和六二年九月二二日の時点で直ちに骨髄移植適応と判断せず、骨髄移植の可能性を念頭に入れたうえ、本件検査を行ったことには相当の理由があり、また、現に同年一〇月には中等症と判断されるべき状態となり、さらに、同年一一月以後一郎が死亡するまでの同人の再生不良性貧血は軽症で推移をしており、厚生省造血障害調査研究班の作成した診断基準及び分類によると軽症の場合には骨髄移植の適応はない(乙九)のであるから、被告乙山が昭和六二年九月二二日の時点で直ちに一郎に骨髄移植の適応がないと判断したことに過失はない。
2 争点二について
被告乙山は昭和六二年九月二八日から蛋白同化ホルモンである「プリモボラン」三〇ミリグラム/一日及び免疫抑制剤である「プレドニン」三〇ミリグラム/一日を投与しているが、その後の一郎の血液検査結果は別紙グラフのとおりであり、同年九月二二日に重症であったものが、同年一一月には軽症となり、その後は軽症の範囲内で数値が推移していること及び投与薬剤についても、減量をするなど適切な配慮をしており、その他、重篤な副作用や投薬を継続できない事情を認めるに足りる証拠がない以上、被告乙山の一郎に対する投薬に過失があったとはいえない。
3 争点三について
(一) 一郎の死亡の原因となった骨折は高さ五〇センチメートル位のところから飛び降りたことによるものであるが、このような行為は一郎の年齢等置かれた境遇からすると日常的になされるものであり、この当時、投薬により一郎が骨粗鬆症に罹患していたとしても、被告乙山が、この程度のことで一郎が骨折する可能性を認識すべき何らかの具体的な根拠は本件全証拠をもってしても見いだすことはできず、同人において、右事態を予見することは不可能というべきであり、この点に過失があるという原告の主張は理由がない。
(二) 原告は、一郎が再生不良性貧血であることの説明を十分行わず、その危険性も説明していないと主張するが、前記のとおり、昭和六二年九月二五日ころ、原告、一郎の父及び二人の兄及び双子の姉の五名について本件検査をしたこと、原告は再生不良性貧血という言葉を夫から聞いたこと、本件検査のときに骨髄移植という言葉を聞いたこと(原告本人)、被告乙山は折りにふれ生活制限や運動制限の指示をし、また、保護者から一郎の身体的状況についての報告を受けているが、右指示や報告は打撲や出血を配慮したものであること、乙第一八、第一九号証を一郎の父が署名して提出していること等のことからすれば、直接説明を受けたのが一郎の父である可能性はあるものの、被告乙山は一郎の病状及び治療法の説明並びに再生不良性貧血から生じうる出血の危険性を考慮して日常生活上の指示を行っていたものであり、この点に過失があるという原告の主張は採用できない。
三 まとめ
以上から、被告乙山においては、原告が主張する過失はいずれも認めることができず、したがって、被告宇和島市においても、債務不履行ないし不法行為責任を負うことはない。
(裁判官・今中秀雄)
別紙<省略>